KAT-TUN『君のユメ ぼくのユメ』を毎日聴いている
※外部からの意見ですので、ご自分の受け取り方を大切にしたい方は どうか読まないでいただきたいです。
KAT-TUN10周年記念ベストアルバム“10Ks!”を購入した。デビュー曲から全力疾走するジャニーズの10年分の楽曲は濃厚だから楽しい。『君のユメ ぼくのユメ』は『Real Face』アンサーソングとの触れ込みでこれに収録された、デビュー曲を作詞されたスガシカオさんによる書き下ろし曲だ。
この歌詞をたくさんのファンの方が読み込まれたと思うが、“君”をファンと置き換え、肯定的に過去、現在、未来を見ようとするのがおおむね一般的なのかなあと。私もこの解釈で10回くらい聞いた。
つまりリアフェ→ユメユメ
しかし、KAT-TUNにはストーリーがある。シンメ厨ユニ厨大魔神の私には、いつの間にか少し違って聞こえてきた。多分こっちをとった趣味趣向の方も一定数いると思うのだが、いかんせんTLが違うので分からない。せっかくなのでここに整理しておかせてください。
前提として、「『Real Face』のアンサーソング」という意味を盛大に曲解してみた。現在ではなく、デビュー日を上の解釈でいう「今」と置いてメンバー間のメッセージとして読む。 この歌詞はあまりに未来に対してまっすぐで、どちらかというとジャニーズWESTみたいで、ケンカを繰り返していたという当時のKATーTUNには似合わない。だからこれは、『Real Face』のパラレルワールドなのではないか。
つまりリアフェ⇔ユメユメ
ちなみに私はすごく詳しいわけではないので、ちょっとかじってた仁亀を念頭に置いております。
誰より高く跳びたくて 無我夢中で走った
重ねた本気と汗は 君に届いたかな?
翼が切れてしまいそうな ギリギリの夜も
いつだって ぼくのすぐ隣で 君の声がしたよ
“行こう!ぼくらなら跳べるぜ”
そう思えたんだ
デビュー前。
もしも神様がいて 過去を変えられるとして
“なにも変えませんよ”って言える日々にしたいんだ
このナミダ・ナゲキ→のみ込んで
デカイ×セカイへ
したいね、これからしようね。明るく永遠の未来について。デカイセカイはデビュー後の開けた世界かな。このフレーズは特に繊細すぎて、やっぱり今日までの10年間を知っているから書かれたものだし、知っているから息を殺して耳を澄ます。
いつだって君を一人ぼっちにはさせないと誓う
“行こう!高くもっと跳べるぜ”
君となら
実際には“一人ぼっち”にさせてしまった関係の当初の決意として。
君のユメ ぼくのユメ 一緒ならうれしいね
喜びも痛みも 今を彩るレシピになれ
君とぼくの夢はきっと一緒だろう。一緒だけど、一緒だよねって確認するわけじゃないよね男って。(知らんけど)
グループの明るい未来のユメを見ながら、世界が始まろうとする今、いろんなことを乗り越えてきっとよい方向へ向かっていく。それが信じられるときに出てくる言葉。
いつだって ぼくの行く未来に 君がいてくれるなら
“行こう!一緒なら跳べるぜ”
どこまでも
一緒にどこまでも、行けなかった関係へ。
ファンはアイドルグループ内の関係に夢を見るけれど、本当のことはまるで分からない。何も見えていなかったこと、見せてくれていなかったことに、結末を見て気づく。唐突な脱退や退社の苦しさは「知らなかった」事実に対しても存在することは間違いない。
「行こう!一緒なら跳べるぜ」彼らはこんな本心をどこかに持っていたのだろうか。そんな部分もあるし、でもやっぱりそうじゃなかったのだろうか。単に照れくさくって言葉にしなかったのだろうか。
もしもあの頃、この歌を歌えていたなら、未来は変わっていたのかもしれない。
10周年本当におめでとうございます。KAT-TUNって存在にとってはCDデビューはひとつの通過点に過ぎなかったのかもしれないけど、やっぱりデビューって大きい。世間の記録に残ることは大きい。
そして充電完了、楽しみにしています!満充電のままあんまり放っておくと、バッテリー劣化しちゃうんだからね?
10TH ANNIVERSARY BEST “10Ksテンクス! "【通常盤】(2CD)
- アーティスト: KAT-TUN
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- メディア: CD
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トピック「KAT-TUN」について
(記事内引用部分はすべて 作詞作曲:スガシカオ「KAT-TUN 10TH ANNIVERSARY BEST“10Ks!”」内『君のユメ ぼくのユメ』より引用)